教員時代、なんでもできるいわゆるエリートタイプの人間がいた。子供への教え方もうまいし、日ごろの言動も教師らしい正義感で管理職と対峙していた。いずれ管理職になるのだろうと思われていた。実際、教員の信頼が厚く、いずれ管理職になると思われていた。一方で、部活を熱心に取り組んでいた男がいた。話すことも正義感に満ちていて常に職員会ではリーダー的な存在だった。彼は管理職とは無縁そうに見えた。二人はその後どうなったか。二人とも管理職にはならなかった。生涯ヒラの教員で終わった。なんで管理職にならなかったかを聞いたことがある。管理職になることを望んだことはなかったのかをきいたことがある。エリートタイプの男は一度管理職試験を受けたそうだ。合格して研修所に行ったのだが、研修を受けている間に「合わない」と感じ、辞退して帰ってきたそうだ。
部活に熱心だった教員はなぜならなかったか、彼は平教員でいることに喜びを感じていると言った。二人ともタイプは違うが、共通しているのは教員であることに喜びを感じるタイプだったのだろうと思う。
大学を卒業して教員になるとき、初めから管理職を目指すという人はあまりいない。「子供から慕われる教員になりたい」と、現場の指導に情熱を持って教員になるのがほとんどである。しかし、経験を積むにつれ、自分の夢が変節してしまうのかもしれない。目指す教育を実現させたいからと管理職になる教員もいるが、たいていの場合、教育委員会との軋轢でつぶれて普通の管理職になっていく。中には管理職になっても自分の思っていたような理想的な管理職になれず、自ら平教員に戻る教員もいる。現在の管理職は昔の管理職と違って上からいろいろな要求があり、それができないとランク付けで落ちこぼれ管理職として給料も減額されるようになっている。しかし、なぜか子供の学力は昔と比較して上がらないでいる。むしろ格差が開いている。少子化で子供の数は少なくなっているのにだ。
日本は先進諸国の中で教育にかける予算は最低のランクである。教育に力を入れない国に将来はない。田中角栄という首相の功績で偉かったのは自分が高等小学校の学歴しかなかった彼がまず取り組んだのは、教育に予算を拡大させたこと。教師に対してもほかの公務員よりも4%給料を積んで優遇したことだと思う。彼のことはいずれここで書きたいと思う。