『「ひとりひとりの生きる力をサポートするのが教育の使命。」「子供の貧困は深刻の度が一段と増している。こうした中で弱肉強食の市場競争に教育をさらしてしまっていいのだろうか。そうではなく、充実した教育をこの社会が私たちがすべての子供に用意することが本当の意味での格差解消につながるのではないか」中略「教育は短期間で成果が上がるような営利事業ではないし、そのことを目指すべきではない。百年の計といわれるが、少なくても一人ひとりが大人になるまでの時間をかけなければその成否はわからない。だからこそ(中略)これから社会の変化を見極めながら、長期的な視野のもとで考えなければならない。」

引用が長くなったが、なぜ長くなったと言えば、私の教員時代よりもはるかに今の子供のほうが、できる子供とできない子供の格差が広がっている。その度合いもかなり深刻な状況が文部官僚も認識していたと思うからである。確かに原因はひとつではなく、いくつかが複合的に重なっているのだろうが、教師の指導力が落ちたと言うよりも、教師の教育的な環境が悪くなっていることも大きな要因になっていると考える。教師は本業の指導よりも圧倒的な雑務の多さである。その結果、子供と向き合う時間がなくなるのである。

できる子供は放課後塾へ行き、学校の足りない部分を補えるが、できない子供は補うところがない。極端なことを言えば、教師の官製研修をなくして、研修は個人に任せてしまえば、子供に向き合う時間は作ることができる。学校と言うところは不思議なところで官製研修を受けることが、直接、給料に影響するため、さらにそれが出世の一歩になるために、ある年齢が来ると、これに振り回されるのである。これに参加しないと‘変人’という扱いを受け、以降管理職からはお呼びがかからなくなる。これは教師の関係も悪くなるので、よほどの意志の強い人間以外は形式的にも受けることになる。ひどい場合は数十年の教育経験者がわずか数年の若い教師のほうが役職が上ということにもなる。

 しかし、問題は子供の学力不足をどう補うのか、

私は学校に希望を持てなかったので定年を待たず職を辞したが、塾というオルナティブスクール(もうひとつの学校)は明らかにじっくり子供の学力を回復できる場と捉えることができると考え、塾を開いた。前川氏が指摘したように一人ひとりの子供に向き合って、本来の実力を伸ばすことができると考えている。塾である以上お金はかかるが、できるだけ低額で家庭に負担がかからないように、できなければ補習をやってでもわかるまで 一緒にがんばる。それが塾の使命だと考えている。今年は高校大学への進学は本当によくがんばり、希望の大学へ進学した。現在、塾の講師はみな卒業生が担当してくれている。みんな小学生から高校生まで来てくれていた元生徒たちだ。

 

ぜひ、覗いてみるだけでもいらしてみませんか。