はじめに断っておくが、私はアメリカに特別な感情はもっていない。

40年ほど前教員時代に派遣されたアメリカの小学校で見たことがあるのだが、ヒスパニックやアジア系の小学生のために英語の教師が来て、特別に英語の授業を行っていた。クラスには耳の聞こえない子供もいたが、その子のために先生が来て手話を使って教育内容を特別に教えていた。ADHDの子もいたが同様の個別指導を行っていた。また数学の能力が高い子には特別の授業が行われていた。もう一度書くが40年前の話である。日本はどうか、ようやく混合教育が見直されてきたところである。つまり40年以上アメリカに遅れている。

 日本で相も変わらないことは、英語偏重の社会である。コマーシャルを見るといい。外国人を意味もなく出すことの多いこと。それも必ず白人系だ。言葉や人種、宗教、肌の色が異なっていても基本的な感性は共通している。何も変わらないのだ。人種は異なっても感性は同じである。アメリカでは大学受験に関しても、マイノリティ(少数民族)にはアファマティーブ アクションという優遇措置を使うことができる。つまり入学者の15%程度英語を母語としない学生たちやマイノリティに当てている。日本の場合はどうか、高校入試を見ると外国語と書いてあっても外国語は必ず英語であって、中国語や韓国語では受験できない英語偏重の国である。また入学しても英語以外の外国語を学習する機会はほとんどない。

息子の場合、スペイン語での大学受験を探したが、受験できる大学がなく、なかなか大変だった。外国はアメリカだけではない。日本はアメリカに追従するのではなく、いろいろな国の多様な価値観を身につけてほしいと思う。先日、アメリカ人と話をしていてアメリカ国内でスペイン語はヒスパニック言語でボトムクラスの言語として差別されていると聞いた。そう考えてしまうのは視野の狭いアメリカ人の驕り(おごり)だろう。日本でもアジアに対しては上から目線の人を見ることがあるが、そんな人に限って英語で話しかけられると妙に卑屈になるのはなぜだろう。

もし、家庭に余裕があるのならアメリカ以外の国へ留学させて外から見ることも必要ではないかと思うが、どうなんだろう。

コメントを残す